【読書記録】老いる勇気⑨ 〜「老いの幸福」を次代に伝える
「我々は我々の愛する者に対して自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか」
自分の幸福とはなんなのか?
ということを考えてみると今、現在生きていることだと思います。現在世界的に大変な時代になりました。
2ヶ月前までは、普段通りの日常でしたが、それが一変して、今目に見えないウイルスに対しての対応策が全人類に問われています。
幸福なのは、こうやって文章を書けていることで、誰かとSNSなどを通してつながっていることだと思います。
僕らはより、人との繋がりを意識しながらこれからを生きていくんだろうなとも思います。
そんな繋がりの中で僕が本書を読んでいて大事だなぁって思ったのは、
機嫌がよいこと
寛大であること
この2点です。
機嫌がよいこと
不機嫌でいることは自分だけではなく、周りの人の気分も悪くしてしまいます。生きていれば、嫌なこともあるんですが、不機嫌でいてもなにも解決には向かっていかないことは僕も経験済みです。
教員時代、クラス運営が思うようにいかなくて、不機嫌になっていると僕もいい気分にはならないし、クラスのみんなもいい気分にはなりません。
大抵クラスのみんなが生き生きしているのは、みんなの機嫌がいい時です。
だからこそ、機嫌がいいことって大事だなぁと思います。
寛大であること
なにをされても許すということではなくて、様々な価値観を受け入れることなんだと捉えています。
自分の正しさを押し付けても他者との関係性は良くなってはいきません。むしろ悪化します。
相談事をした人に、
あなたは間違ってるとか、いやいや違うよとか
その人の意見を求めている人はいないんじゃないでしょうか?
むしろそんなことを言われて説教された日には、この人にはなにも相談したくないなと思います。
相談する側の意見としては、ただ聞いてほしいだけです。ありのままに受け止めて聞いてくれるそんな寛大さというのが大事だなぁと思いました。
そして本書を読んでいて思ったのは、「気持ちは言葉にして伝えないと伝わらない」ということです。
空気を読むという言葉が以前流行りました。空気を読む。その人の感情や態度を読み取り、適切な対応をするということだと思います。
ですが、その人がなにを思っているのか?また自分がどのようなことを感じているのかは言葉にして伝えていかないとその真意は伝わらないと思います。
それぞれの人に考えがあり、価値観があります。相手を尊重して、その多様な価値観を受け入れ、対話をしていくことが今大切なのではないかなと感じました。
僕は、教育を仕事にしています。
教育をしていく中でも子どもたちにも、親御さんにも、同じ教育をする教育者の方々にもそれぞれ価値観があり、また僕にも僕なりの価値観があります。
それぞれの価値観を受け入れて、じゃあどうする??
というのをみんなで考えて、対話して、こっちの方向に進んでいこう!とみんなで一緒に進んでいくのが教育なんじゃないかなとも思います。
僕は、子どもや親御さん、地域の方、先生から沢山のことを学びます。僕は、皆さんに育ててもらっているなぁという感覚が年を重ねるごとに強く感じています。
本書の中にこんな言葉がありました。
人は人を育てることはできない。できるのは、子どもや孫が育つのを援助すること、子どもが育つ環境を整えること
まさにそうだなと思いました。
今、コロナの影響で学校は休校になっています。先生も親御さんもなんとかして勉強する機会を与えようとしています。これを強制するのではなく、機会として与える。1つ1つの選択肢を与えることが僕らにできることなんじゃないかなと思います。
今までは、学校の授業を受けるという選択肢しかなかったのに
オンラインで授業を受けるという選択肢が生まれ、学校に通わなくても勉強ができる環境が生まれ、学校という形にも多様性が生まれてきています。
学び方はそれぞれあって、それを選ぶのは子ども達です。
僕らは環境を整え、子どもが育つ援助をすることで貢献していくことができるのではないかなと思いました。
時代の流れの中で僕も勉強しながら、どういう方法で援助ができるのか?を考え行動していく。
僕自身が幸福であること。
僕が学んできたことや人から教えてもらったこと、自分が人から受けた恩を、次の世代を担う子ども達や社会に返していくことをしていきたい。
そんな気持ちを本書を読んで感じました。
【読書記録】老いる勇気⑧ 〜「私たち」を主語に考える
人間は1人では生きていけない
この言葉至る所で言われてきていますが、コロナで大変な今だからこそ、より一層そう感じています。
われわれのまわりには他者が存在する。そして、われわれは他者と結びついて生きている(アドラーの言葉)
僕は勉強を教えることを仕事としていますが、教えるということも相手がいてはじめて成り立ちます。
相手がいてくれるからこそ、勉強を教えてほしいという人がいるからこそ、自分が貢献できているなということを感じることができます。
とてもありがたいことです。
自分に価値があると思う時にだけ、勇気を持てる(アドラーの言葉)
ここでいう価値とは生産性ではなくて、存在していること自体に価値があるということなんだと僕は本書を読んでいて強く感じました。
価値があるかないかというのは資本主義社会で生きていると生産性の中に見出してしまいます。
お金をいくら稼ぐことができるとか、この時間内にこれだけのことができるとか、あの人より自分の方ができるとかそういうことです。
でもさっきの教える側と教えられる側のように他者貢献という視点から見るとどっちも貢献できているので、存在自体に価値があるんですね。
そこがすごい大事なんだろうなと思います。本書で岸見さんは
生産性という価値観を手放す
と記していますが、まさにそこが大事だなと感じました。生産性ではなく自分のありのままの姿に価値があると認めていくことで自信がつき、勇気が湧いてくるんだと思いました。
自分に価値があると認められた時、幸福感も得られるんじゃないかなとも思います。
ここで表題に触れていきます。
「私たち」を主語にするというのはどういうことなのか?
ここでアドラーがいう共同体感覚に触れていきます。
共同体感覚とは、「私」を主語として物事や人生を考えないということです。「私」を主語に考えると、共同体の他者に対して、「この人は、私に何をしてくれるのだろうか」という発想で対峙することになります。
私を中心に周りを見ているということですね。言い換えると自己中です。他者は自分のために存在している。自分の欲望を満たすために他者を利用する。そんなところでしょうか。
「私たち」を主語に考えて生きていられるようになると、「私たちのために、私はどんな貢献ができるだろうか」と考えられるようになります。
他者貢献をすることが自分の価値を認めることにもつながっていきます。僕らは他者がいないと生きていけません。対等な関係の他者とより良い人生を生きていくためにお互いが貢献し合う。自分の欲望だけにとらわれずどう他者に貢献していけるのだろうか?
今、全世界が大変な時だからこそこういう視点を大事にしていきたいと思いました。
【読書記録】老いる勇気⑦ 〜「できない」という勇気をもつ〜
本章の中で、語られることの中心は自分でした。
身内の介護をする上、もしくは子育てをしていく上で大切なのが
まずは自分が幸福であること
そう、岸見さんは書いています。
どれだけ介護をしたり、子育てをして家族に尽くしていっても親や子どもを幸せにすることはできません。
ここは、課題の分離がテーマになっているんだろうなと感じました。
介護をすることで親に貢献することはできます。また、子育てをしていくことで子どもに貢献することはできます。
ですが、本章の中にも書かれていたことを引用させてもらうと
人は誰かを幸福にしたり、誰かに幸福にしてもらったりすることはできない。家族の幸福を願うなら、まずは自分が幸福であること
まずは自分が幸福でない限り、他の人に貢献していくことはできません。自分にできることで他者に貢献していく。そしてできないことはできないと受け入れていく。そこで助け合っていけばいいんじゃないのかなと本章を読んでいて思いました。
介護していく中でも子育てしていく中でもそれは一緒なのかなとも思いました。自分のできる範囲のことを行い、できないことは助け合う。
子育てのことで言えば、親だけではできないことを学校や地域や塾などが力を出し合って助け合っていく関係が大切なんだろうなと思いました。だからだれかだけが責任を持つわけではなく、みんながみんなお互いに責任を持ちながら支えていくのが大切なんだろうなとも思いました。
アドラーは「すべての悩みは対人関係の悩み」と言っています。それを受けて、岸見さんは
人間関係の中でしか喜びは生まれない
と書いています。他者に貢献している自分を受け入れることで喜びが生まれます。自分ができること・できないことを受け入れてできないことには「できない」と言える勇気をもつことが人間関係の中でも必要なんだろうなとも思います。
できないことは恥ではありません。
できないことを受け入れ、助け合って生きていく。
今だからこそ、そういうことが必要なんじゃないかなと思いました。
【読書記録】老いる勇気⑥ 〜「大人」でなければ介護はできない〜
大人であるというのはどういうことなのだろうか?
と疑問に思う章名だったが、読み進めていくうちにその名前がスッと入ってきた。
大人であるためには3つの要件があると岸見さんは書いている。
・自分の価値を自分で認められること
・自分が決めなければならないことを自分で決められる
・自己中心性からの脱却
介護を僕は経験したことがない。
だが、本章を読んでいて思い浮かんだ人物がいた。
僕のおばあちゃん。
おばあちゃんとは、帰省をしないと会えない。
だから、年に会えて2、3回なのだが、会うたびにおばあちゃんは老いている。
そして会うと何度も何度も同じ話を話してくれる。
僕は、大学生くらいのときにはこのおばあちゃんの話が嫌いだった。
何度も何度も同じ話を聞かされて、うんざりしていたからだ。
だけど今なら前より受け入れることができている。ありのままのおばあちゃんを受け入れることができるようになってきたからだろうか。
多分、少しずつ僕も大人になることができてきているのだろう。
おばあちゃんと会える日数は、あとどれくらいあるのかわからない。
毎日の日々を当たり前のように生きているが、日に日に時は過ぎている。
その毎日の時間の今、この瞬間に焦点を当てて、そこに最善を尽くして一所懸命に生きていく。
だから、今日この日を大事に大事に生きていくことが大事なんだろうと思った。
僕だってあと何年生きていられるのかはわからない。
自分自身もこの自分を受け入れ、毎日最善を尽くして生きていく。それを1日1日行っていくのが、これからの人生において大事になっていくのだとそう思った。
【読書記録】老いる勇気⑤ 〜執着があってもいいではないか〜
死を意識したことがないという人はいないかと思います。
多分歳をとってくるとなおさら感じることでしょう。
死ぬ怖さみたいなものはあって、死んだらどうなるんだろうってことを考えてしまいます。
ですが、そんなこと考えても答えが出るわけでもなく不安だけが多くなってしまいます。
本書の中でも紹介されているのがソクラテスの言葉です。
「死を恐れるということは、知らないことを知っていると思うことだ」
死んだらどうなるのかを知っている人は、今生きている人の中にはいない。だから考えても答えが出るのは限らないし、受け入れるしかない。
本書を読んでいて思ったのは、たしかに死ぬことを考えてもしょうがないよなぁって思いました。
死というものを扱ったものとしては最近「100日後に死ぬワニ」がバズりました。
きくちゆうき (@yuukikikuchi) | Twitter
あの4コママンガは僕も好きで読んでいて、ワニくんは何気ない日常を真剣に生きているなぁっていうのを感じていました。
ワニくんが死ぬのは、読者の僕らは知っています。ですが、ワニくんは知らない。知らないし、多分死に目も向けずに今を生きていたんだと思います。
どう生きるのか?
多分、ワニくんも友人や恋人と過ごす今を生きていたから、多くの読者に愛されていたんだろうなと思います。
そんなワニくんを愛する読者の1人としてワニくんのように今を真剣に生きていきたいなと思いました。