空気を読む時代から空気を味わう時代へ
「空気を読む」という言葉がはやりにはやって広まった。
「空気を読む」っていうのは人と人との間の中で自分の動き方を周りの人の発する言葉や雰囲気を感じとってこの場に適した行動をとるという解釈をしている。
僕の感じ方だが、「空気を読む」関係というのは、なんか息苦しい。
空気を読みすぎるあまり、空気におぼれている。
周りを意識しすぎるから常に緊張している。
安心できるのか?その空間は居心地がいいのか?
そんな関係性ではたしていいのか?
「空気を読む」そんな状況になるのは、誰かが強要しているからなのか?それともその場がそういう空気を出しているのか?
そんな場にいたいと思うのか?僕はそうは思わない。
では、どんな場所が心地いいのか?
個人的な意見を今から書いていくので、他の人はどうかわからないが
「空気を味わう」空間がぼくは好きだ。
喫茶店や落ち着いたカフェをイメージしてもらうと想像がしやすいだろう。
そこに漂う空気には温度がある。あたたかく包み込んでくれる空気だ。
なにも強制されない。ただそこにいるだけでいいんだよ。という空気感。
または、みんなが同じ目的をもった空間に漂う空気感もまた一緒にいて心地よい。
「空気を味わう」ことができるのは、そこにいるすべての人が暖かく柔らかいそんな空気を出しているんだと思う。
その場にいること。その場を共有できていることが心地よく、そして幸せなんだと思う。