教育で明日をもっとBON!!ブログ

bonとはフランス語で「良い」という意味があります。元教師、現塾講師が教育で明日をもっとBON(良い)な日にするエッセンスを届けます!

「見張る」と「見守る」の違い

生徒は今日も自分の課題に向かって、試行錯誤しながら向かっていきます。

どう向かっていいのか迷う時は、こんな道があるよと伝えます。

手を引っ張ってその道に連れていくのではなく、一緒に横に付き添って向かうイメージです。

生徒が問題を解いているときにどんな答えになるのか考えている場面もあります。

そのときは、そっと眺めています。もしどうやったらいいのかわからないときは向こうから助けを求めてきます。そのときにはヒントを与えます。もしくは手順を示してあげます。そこからは自分で同じ手順が踏めるのかを試してもらいます。

見守るというのは包み込むイメージです。放置するわけではなく、いつでも手を貸す準備はできている状態で待ちます。

待つときは、表情や姿勢や目を見ています。どんな表情で取り組んでいるのか、どんな姿勢で取り組んでいるのか、どんな目の色で取り組んでいるのか。

些細な変化が毎日あります。気持ちによってもここは変わってくるので、そこを見て声をかけたりしています。いつでも寄り添うことができるように待っています。

見守るときの心構えとしては、この子達は自分の道に向かって進むことができると信頼することが大事だと思います。

信頼をせずに見ると、見守りではなく、見張りになります。

この子はわたしが見ていないと、注意しないとやらないんだ!!と相手を見ているときは見張りになります。その時の目線を浴びるとおびえます。

心の中に安心はなくなってしまいます。いつみられているのかわからないとおびえながら行動します。そのため息が詰まります。のびのびと行動することはできません。

そうするとどうにかして見張りの目をかいくぐろうとします。見張りの目の届かない場所に移動しようとします。結果、見張りから逃げ続けないといけないことになります。安心安全な場が見張りがいない場所になってしまっているのです。

見張りの求める自分にならないと見張りは安心しません。そしてその存在になっても見張りはそれが当たり前かのようにその子を見ようとしません。

見張りと見守りの違いはここなのかなと思います。

見守りは、その子自身を見ています。その子の存在そのものを見ている。

見張りは、その子を見ていません。自分の理想とするなにかを見ています。

その子を信頼出来ているのかどうかというのは、その子自身を見れているのかどうかというところに行きつくのではないでしょうか。

自分が見守れているのか、それとも見張りになっていないか。

その子自身を見れているか、それとも理想とするなにかを見ているのか。

そこの視点をもつことが大事だと思います。