【読書記録】生きる技法⑥ ~「恐怖」と「不安」は破壊的構えから生まれる〜
前回のおさらい
表面的平穏を守るために、嫌だと感じる人と友だちのフリをしてしまうとあなたのすべての友だちとの関係を壊してしまうことになる。破壊的構えを押しつけて来る場合には、抗議をして、こちらは創造的構えを開いていると、相手の破壊的構えを引っ込めさせて、創造的構えを引き出すことが可能になる。
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本日の読書記録(本文引用・()内は言葉の意味の説明)
「命題2-10 相手の破壊的構えのお付き合いをしてはならず、創造的構えに呼びかけねばならない」
ということができます。もちろんこれは、簡単なことではありませんが、常に可能なことです。とはいえ、心しておかねばならぬことがあります。それは、
「命題2-11 破壊的構えを向ける人の背後の創造的構えに呼びかけると、その人が憤激することがある」
という残念な事実です。というのも、そのような人は、自分のなかの創造的構えを一生懸命押さえ込んで生きているからです。そうやって破壊的構えを表に出して、自分の仮面として世の中を渡っているつもりなのです。そういう人の破壊的構えを無視して、創造的構えに呼びかけると、その人は、一生懸命押さえ込んでいるものを呼び覚まされるので狼狽(あわてふためくこと)します。単に狼狽するだけではなく、大変な恐怖を味わうのです。
たとえばあなたが職場で、直接の上司ではない先輩から、あまり意味があるとは思えない仕事をたのまれたとしましょう。そういう場合、先輩の意図は、あなたに仕事を押しつけることで自分の「位」があなたより上だ、ということを確認することにあるものです。ここであなたが、嫌々ながらその仕事をすると、「友だち地獄」に落ちます。
とはいえ、先輩の依頼をむげに断るのは角が立ちます。そこで考えられる行為はたとえば、
「その仕事の意味がよくわからないので、説明していただけませんか」
と聞くことです。実はこの質問が既に、「創造的構えへの呼びかけ」になっているのです。なぜなら、こういう人は、仕事の意味など考えないことにしているケースが多いからです。
もしその先輩が、仕事の意味をきちんと納得できる形で説明してくれるなら、それはこちら側が「下種の勘ぐり(被害妄想)」だったということがわかります。その時には反省し、時間をとって説明して下さったことを感謝して、一生懸命に仕事をすれば良いのです。
しかし、大抵の場合、こういう先輩は、「意味なんかどうでもいいんだよ!!黙って言われたことをやればいいんだ!!」などと逆上し、説明を拒絶します。なぜならその人自身、仕事の意味など、説明されたこともなければ、考えたこともないからです。その人が逆上するのは、「何も考えないで、言われたことをやる」という破壊的構えを、あなたの質問によって揺さぶられ、創造的構えを呼び覚まされそうになったからです。
こういった人が破壊的構えを向けているのは、別の人から破壊的構えを強制されているからです。こうやって強制を受けている人は、「不安」に苛まれています。「不安」は「恐怖」よりもタチが悪いのです。なぜなら恐怖は対象がハッキリしているのに対して、不安は対象が見えないからです。対象がハッキリしないのは、本当はハッキリしているのですが、その対象を自分で見えないようにしているからです。
たとえばあなたが誰かに脅かされて暴力的に何かを強制されたとしましょう。そんなことをされると、「恐怖」を感じます。しかし、人は往々にして臆病風に吹かれ、そうやって強制する人のことを、「自分のためを思って」やってくれているのだと思い込んで合理化しようとします。そうなると「悪いのは自分だ」ということになります。このとき、「怖い」「嫌だ」という気分だけが残り、その原因となる暴力的強制は、「正しいこと」とされてしまいます。そうやって言い聞かせてしまうと、あなたは「原因のわからない怖さ」に包まれることになります。これが「不安」です。
本日の学び
学校にもこういう破壊的構えはよくある。なんでもいいからやれ!!というような光景は沢山あるのだが、それもすべてその向こうに破壊的構えがあるからなのだろう。その強制が「恐怖」や「不安」を生んでいる。そしてこの目に見えない、対象がハッキリしない「不安」が生まれる過程がとてもわかりやすかった。「原因のわからない怖さ」とはまさにそうだなと思った。
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