教育で明日をもっとBON!!ブログ

bonとはフランス語で「良い」という意味があります。元教師、現塾講師が教育で明日をもっとBON(良い)な日にするエッセンスを届けます!

【読書記録】生きる技法⑫ ~執着は愛情とは言えない〜

前回のおさらい

自己愛を満足させるために、他人の美点に欲情することが、執着である

執着されて育った人は、ひとに執着するようになる。

 

前回の読書記録はこちらからお読みください。

bonsakubonbon.hatenablog.com

 

本日の読書記録(本文引用)

純粋に執着するだけの人も純粋に愛情だけを持つ人も少数です。ほとんどの人は、執着と愛情の両面を持っています。その結果、誰かを好きになるということは、執着と愛情との葛藤に落ち着きます。

大抵の人は、自分を認め自愛する力を持つと共に、自分を認められず自己嫌悪に陥る、という二面性をもっています。この場合、自愛と自己愛とがひとりの人間のなかで競合し、愛情と執着とが葛藤します。

執着は、往々にして愛情と誤認されます。自分の生まれ育った家に、本当の愛情が希薄であり、愛情のフリをした執着が蔓延しているなら、自分についても他人についても、執着こそが真実であって、愛情などは価値のないものだ、と思い込んでしまうからです。そしてそういった家庭は、実に多いのです。

執着から生じる異性に対する欲情の表現は、ストーカー行為かセクシャル・ハラスメントであって、それは愛情とは何の関係もありません。ところが、往々にして、執着している本人ばかりか、その執着を向けられる人まで、あるいは周囲の人々までもが、それを愛情と誤認するのです。その執着の度が過ぎていたり、状況があまりにも不適切である場合にのみ、ストーカー行為やセクシャル・ハラスメントとみなされます。

しかし、ストーカー行為と愛情とは、全く相入れない、正反対のものです。執着に基づくものは、どんなに低レベルであっても、不埒で悪質で破壊的なものであって、ストーカー行為と同じことです。執着するということは、相手の持っている美点を狙うということですから、その人の人格全体には無関心です。

 

本日の学び

執着を愛情と誤認しているということはよくあることだと思う。そしてこれはあなたのためを思ってという言葉で罪悪感を植えつけているように思う。あなたのためを思って言っているというのは結局その人のためになっているのかというとそうではなく、その人への執着から出ている言葉なんじゃないかと思った。ストーカーやセクハラが愛情とは言えないように、執着もまた愛情とは言えないんだろうなと思った。

 

 

次回の読書記録はこちらからお読みください。

bonsakubonbon.hatenablog.com

 

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