【読書記録】生きる技法⑦ ~嫌われるのを恐れると、誰にも愛されない〜
前回のおさらい
相手の破壊的構えのお付き合いはしてはならず、創造的構えに呼びかけねばならない。
破壊的構えを向ける人の背後の創造的構えに呼びかけると、その人が憤激することがある。
「恐怖」は対象がハッキリしている。
「不安」は対象がハッキリしていないように感じるのは、本当はハッキリしているのに、その対象を自分で見えないようにしているから。そうやって本人が「原因のわからない怖さ」に包まれているのが「不安」
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本日の読書記録と学び
「命題2-12 「恐怖」には原因があるが、その原因を自分で隠蔽すると、「不安」になる」(「生きる技法」安富歩 2011 青灯社 pp52)
不安を感じている人に対して、どうしてその不安を感じているのかという原因を想起させるというのが、本文でも書かれている「創造的構えによびかける pp52」ことだと思う。不安をどうして感じたのかというところにフォーカスを当てさせようとすると自分であやふやにしていた部分をもう一度呼び起こして恐怖を感じてしまうことになる。はっきり言ってそれは怖い。不安は目に見えない怖さにしていることで逆に安心しているのではないかと思う。だけど、この恐怖と対面しないことには、それを受け入れるということはできない。そしてそれを受け入れることができない人はいつまでたっても自分の都合のいいようにしか捉えられなくなってしまう。つまり意図的に不安の原因を呼び起こしてあげる必要がある。だがそこには対立が生まれる。だから安富氏は本文で
「命題2-13 対立を恐れてはいけない」(pp55)
と語っている。対立というと怖いとか嫌われるかも・・・と負の感情を抱くかもしれませんが、むしろ破壊的構えの人には嫌われることは大歓迎です。破壊的構えの人はあなたの貴重な時間や能力を自分の私利私欲のために利用したいから、そんな人には嫌われて2度と近づかれないほうがいいです。そうすることで、自分の本当の姿を見てくれる創造的構えの人とより濃い時間を過ごせますからね。みんなから好かれようと思うとその自分のことを利用しようとしている人に時間を割かないといけないので、なんの良いこともありません。
破壊的構えの人に嫌われることが、創造的構えの人に愛される条件です。つまり、
「命題2-14 嫌われるのを恐れると、誰にも愛されない」(pp56)
自分のことを利用してくる人と付き合うということは、その人に執着されるということなんだなと思います。自分の中の都合のいいところだけを切り取られて、利用されて、使えなくなったらポイと捨てられて知らんぷり。執着できるならだれでもいいんじゃないかな?だれからも嫌われたくないっていうのは執着してほしいのかもしれないですね。執着されていると繋がっている気分になれるから。だれかに必要とされている自分を自覚できるから。でもその関係性は自分自身を追い込んでいきます。以前僕もそれでかなり悩みました。相手にとって都合のいい自分でないといけないと自分自身を偽って生きていくのはとてもつらいことです。待っているのは自己否定と自己嫌悪です。そしてそこからさらに執着が生まれていくんだろうな。自分自身を大切にすること。そのためには嫌われる勇気をもつこと。嫌われることを怖れずに、生きることではじめて愛されることができるっていうのはかなり本質的なんだなって思いました。
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