【読書記録】生きる技法⑧ ~自愛と自己愛~
昨日のおさらい
嫌われることを恐れると、誰にも愛されない(「生きる技法」 安富歩 青灯社 pp56)
破壊的構えの人には、愛されるのではなく執着される。
破壊的構えの人に嫌われたとき、はじめて創造的構えを向ける人との間に、創造的関係を作ることができる。
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本日の読書記録と学び
「命題3 愛は自愛から発し、執着は自己愛から生じる」(「生きる技法」 安富歩 青灯社 pp59)
自愛:①自らその身を大切にすること
自己愛:ナルシシズムに同じ
ナルシシズム:①自己を愛し、じこを性的対象とすること。②転じて、自己陶酔。うぬぼれ。
『広辞苑』より
「命題3-1 自愛とは、自らその身を大切にすることである」(pp60)
自己愛の場合は、自分の能力以上に自分自身を大きく見せようとしたり、自分の能力のなさをアピールすることで私に任せたあなたが悪いんでしょと逆ギレしてくることもある。自分のすべてではなく、自分の中の一部分を切り取ってそこに注目しているような状態だと認識しています。こういう人は、自分の力以上のことをできると過信して、できなかったらできなかったで他人のせいにするので、結果孤立していってしまいます。これは自分を大切にしている状態とは言えないんじゃないかと思いました。自分の一部分しか見ていなかったり、他人のせいにして自分を擁護しようとするのは、結局は自分を見つめることはできていないんじゃないかなと思いました。
自愛とは、自分自身を自分自身としてそのまま受け入れることです。(pp61)
自愛が自分自身を受け入れ、大切にすることであるのと逆に、自己愛は、自己嫌悪から生じます。自己嫌悪とは、自分自身を自分自身としてそのまま受け入れることができない状態です。(pp61)
どうして自己嫌悪が生じてしまうのか、本文を読み進めていくうちに、これは他人から押しつけられた他人にとっての理想の自分の姿になりきれていない自分を嫌っている状態なんだなと納得しました。
「あなたはできる子だから。」
「あなたの力はそんなものじゃないわ。」
「わたしの子だからあなたはできるはずよ。」
「あなたはそんな人じゃないと思っていたのに・・・」
このように誰かに押しつけられた像からのズレが自己嫌悪を生み出してしまいます。なんとかして他人が求める自分の理想像に近づけようとし、その理想像になれたときに自己愛が生まれるようです。要は偽りの自分自身を作り出しているような状態だと認識しています。それは外見とか社会的地位とか学歴だったりそういうもので、評価対象となるものなのなんだと思います。他人からの評価を求めるあまりにこのような状態に陥ってしまうのかなとも思えます。でもそうやって自分の表面的なものを着飾っても自分の人格が変わるわけではありません。これって自分自身のすべてを認めているということになるでしょうか?自己愛は自愛にはなりえない。自分自身をすべて受け入れて、大切にできているのか?そこを見直さないといけないんじゃないかなと思いました。僕自身も振り返ってみると他者からの評価を気にしてしまうこともあります。でもそこが気になっている時点で自愛ができていない証拠なんじゃないかなと思うわけです。
自己愛とはなんなのか。自己愛に陥ってしまうのはなぜなのかについてまた次回深掘りをしていきたいと思います。
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