【読書記録】生きる技法⑯ ~捨てる勇気〜
前回のおさらい
「自分を嫌っていない」状態が「自愛」
人間は成長の過程で、自分の外にあるものを「身につけるべきもの」として目標あるいは義務と捉える。そして、身に付けることができない自分は、駄目な奴と捉えてしまう。だが、そういった目標は完全に到達することは不可能。なぜなら身につければつけるほど、目標も一緒に高くなり、身につけられていない自分がますます「駄目な奴」と捉えてしまうことで自己嫌悪の塊ができあがってしまうから。
身につけるという過程で、自己嫌悪する必要もない。なぜなら、自分に必要なものを自分が必要だから取り入れることは、主体的なものであり、その場合にはいちいち自己嫌悪に陥る必要はないから。あせらずに、自分に必要なものを、自分にふさわしい速度で、自分なりのやり方で身につけることで、成長できる。もちろん自己嫌悪することない
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本日の読書記録と学び
自分の身に帯びているものを全部捨ててしまうと生まれたころにタイムスリップすることになるので、する必要はない。
なすべきことは、自分が帯びているものを、ひとつひとつ確認し、そのなかで本当に必要なものは何か、必要でないものは何かを、日々の生活のなかで見極めることです。必要でないものは、勇気を以て捨てねばなりません。そうして自分を身軽にすることが、自己嫌悪からの離脱につながります。(本文引用)
自分の中にあるものをこれは必要。これは必要じゃない。って見極めていくことで、必要ないなってものもいつか使うかもしれないってとっておくんじゃなくて、捨てる勇気をもたないといつまでもその必要のないものにがんじがらめになってしまうんだろうな。結局その必要のないものを捨てられない自分がどんどん嫌いになってしまったら自己愛にたどり着いてしまうんだろうなと感じた。
必要なものについても、それを身につける過程で自分に植えつけてしまった、「駄目な奴」という劣等感についても「不必要なもの」であることを認識せねばなりません。その劣等感を、これまた勇気をもって捨てましょう。これが「自愛」を実現する道です。
「命題4ー3 自愛は、自己嫌悪から離脱することで実現される」
(本文引用)
自分のことを「駄目な奴」って決めつける必要はなくて、その劣等感は誰かに執着する原因にもなってくるな。自分は「駄目な奴」だから他人に自分を押しつけたりする。俺は全然できないやつでお前はできるんだから頑張れよっていう謎の押し付けとかっていうのがまさにそうなんだろうな。だから自分は「駄目な奴」っていう劣等感は捨てることって、自分自身を大切にして、なおかつ相手のことも大切にすることにつながるんだろうなって思った。
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