【読書記録】生きる技法23 〜正解かどうかはやってみないとわからない~
前回のおさらい
【命題6】自由とは、選択の自由のことではない(「生きる技法」 安冨歩 青灯社 pp101 )
【命題6ー1】「選択肢が豊富にあること=自由」ではない(pp102)
お金と社会的地位はみんなが欲しがるものであり、それをもつと交換可能が増えて選択できる幅が広がっていく。「選択の自由」を手に入れることができます。ですが、この選択肢が沢山あるということが自由なのかというとそうではないようです。では、自由とはなんなのか?今日も読み進めていこうと思います。
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本日の読書記録と学び
【命題6-2】成功とは、可能な選択肢の中から、最善の選択をすることではない(「生きる技法」 安富歩 青灯社 pp102 )
これについて言えば、テストなどの問題のように、選択肢の中に答えがあるものについては、最善の選択をすることは成功です。ですが、どの学校に進学をするのか選んだり、どの会社に就職するのか選んだり、今日の晩御飯はハンバーグにするかラーメンにするかを選んだりすることには、その時の自分からしたら最善の選択をしたかもしれませんが、自分が選んだ学校に行っても人間関係で上手くいかなかったり、大企業への就職が決まっても倒産してしまったり、ラーメンを選んで食べログで評価の高いお店に行っても自分の好みでなかったり、世間一般の人がいいね!と評価するものを選んでも、その選択が成功への一手になるかどうかなんていうものは、はっきり言って
やってみないとわからない
です。つまり、なにを選んだら正解ですよ。ってことはやってみて答えを探っていくなかで見つかるようなもので、その時の自分はここに正解があるんだと思って足を突っ込むんですが、行ってみたらドボンでしたみたいなことも普通にあるのが人生です。
【命題6-3】人生には常に無数の選択肢がある(pp108)
【命題6-4】無数の選択肢の中から、正しい選択をすることなど、原理的に不可能である(pp108)
つまり、正しい選択肢など考えても意味がないしわからないってことなんだと思います。だから正しい選択肢ってなんだろうって悩む必要もなくて、この自分の選択が正解なんだと信じることは逆に危険で、仮にその選択で不具合を生じても変えることができなくなってしまいます。
【命題6-5】選択という設定自体が危険である(pp109)
「わたしと仕事どっちをとるの?」という現実的にこの質問されることあるの!?
というような選択を求められるような場面がまさにそうです。
【命題6-6】選択を迫られるなら、その場を逃げ出すべきである(pp110)
【命題6-7】不可避の選択に直面しているなら、どれを選ぶかは問題ではなく、どのように選ぶかだけが問題である(pp111)
【命題6-8】自分の内なる声に耳を澄まして、その声に従う(pp111)
【命題6-9】どれかを選択した以上、別の選択肢はもう閉ざされている、と感じるのは誤りである(pp111)
選択を迫られるならば、逃げればいいし、逃げれないなら自分がその時どう感じているのかという心の声に従っていけばいい。さっきの「わたしと仕事どっちをとるの?」という質問は多分その人との関係を続けるのか続けないのかという瀬戸際だからでてくる言葉であって、不可避であるから自分のその時の気持ちを大事にしていけばいい。
そして、選択をしたあとでも別の選択肢への道が閉ざされているという風に感じてしまう人は多くいると思うが、そんなことは間違いであるというのは大きな救いだと思う。
どんな選択をしても、選ばなかった方に後から魅力を感じたらいつでも方向転換は可能ということだと解釈している。大学選びも入ってみて違うなと感じたら別の大学への編入を希望したり、もう一度受けなおすことも可能である。
ここまで読んでいくと「選択の自由」は自由とは言えないという理由がなんとなくわかってきた。選択肢がないよりはあったほうがいいが、それは自由に見えて、失っている自由もあって、選択肢が多いほうが逆に迷いが生まれることもある。
では、本当の自由とはなんなのかについてはまた、次回読み進めていく。
次回の読書記録 ~自由と勇気~
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