世間体について
本を読んでいて、興味のある記述があったのでそれについて書いてみようと思います。
読んでいるのは
グループと瞑想
アドラー心理学の本です。
ここに悩みについての記述がありました。
悩むことにも目的がいくつかあると本の中では紹介されていました。
その目的の1つに
自分の顔を立てること
というのがありました。
世間体を気にするがあまり悩んでいるフリをすることです。
例えば
自分の子どもが問題児になっている。
という状況の時
母親がニコニコとして幸せそうに、今日グッチの新作カバンがでたから見に行こう^ ^
とルンルン気分で暮らしていたら、他のお母様方はどう思うでしょうか?
それとは
対照的に
取り乱しながら、私の子があんな非行少年になってしまったわ(TT)
どうしましょう。どうしましょう。
って悩みに悩んでいる。
という状況
周りのお母様方はどう思うでしょうか?
この場合、悩んでないとバツが悪いのは、誰の世間体か?
もしその子どもが非行を起こしてしまったりした場合、罰を受けるのは子どもです。
親が悩んでも子どもは救済はされません。
悩んでいるのは自分の世間体が悪くなってしまう恐れがあるから
そのため悩んでいるフリをしていると
まとめるとこんな感じです。
間違いとかあったらすいません。
たしかになるほどと思う部分だけかと言われればそうではないですが、なるほどとも思いました。
その問題がなんで起こってしまったのか?
というところに注目していけば、その子があまり見られてこなかったからなのかなと思いました。
その子の今の姿をしっかりと見てあげること。
それがされていなかったから、この段階まで来てしまった。
悩む必要はないかもしれませんが、その子のありのままの姿を見て、認めていくということは必要だと思います。
その子の存在を認め、理想のその子の姿を見るのではなく、今の姿を見ていく
そうすれば、悩まずとも解決するとも思いました。
そんな状態になっているのに、あなたはなんで悩んでいないの!?
と言われるというのもあると思います。
その子をどうにかしようと思ってもその子を変えることはその子にしかできません。
手助けはできますが、変えることはできない。
僕らに必要なのは、いつでも助けを求めて来たときに差し出す手を用意することなのかなと思いました。
色々と話が飛んでしまったかもしれません。
悩むということ
その目的がいくつかあるということにこの本を気づきました。
ただ、そこに目を向けることは
簡単ではないですが、僕の課題として付き合っていきます。