教育で明日をもっとBON!!ブログ

bonとはフランス語で「良い」という意味があります。元教師、現塾講師が教育で明日をもっとBON(良い)な日にするエッセンスを届けます!

【読書記録】生きる技法31 〜幸福の偽装工作をしても終わりはない〜

前回のおさらい

【命題10ー3】抽象的な「夢」は、かなえるとすぐに消えてしまう(「生きる技法」 安冨歩 青灯社 pp140)

【命題11】幸福とは、手に入れるものではなく、感じるものである(pp140)

 

前回の読書記録 

bonsakubonbon.hatenablog.com

 

本日の読書記録と学び

自分の感覚を受け入れられる経験を皆さんは積んでいますか?安富氏曰く、「才能ある子」ほどこの自分の感覚を受け入れられる経験は欠如しているようです。というのも「才能ある子」というのは大人によって、その子の感覚を否定され、社会にとって好都合な感覚を押し付けられているからです。これは主に親によって行われます。この子ならやってくれる。この子ならできると親の想いをひたすらにぶつけた結果「才能ある子」が出来上がっていく。この「才能ある子」を生み出す親のことを安富氏は「正しく」狂った親と表現しています。子どもの感覚を否定し、その親のもつ「正しさ」を押し付け続けていくことによって「才能ある子」を生み出していくからです。感覚を否定し続けることは凡人にはできないことです。だからこそ安富氏は狂ったと表現しているんだと思います。

【命題11ー1】「正しく」狂った人間は、感じることを恐怖するため、幸福にはなれない(「生きる技法」 安冨歩 青灯社 pp143)

【命題11ー2】「正しく」狂った人間は、幸福の偽装工作に全力を挙げる(pp144)

前回の読書記録の中でも幸福とは、感じるものだということを学びました。偽装工作という言葉が表しているように、幸福の偽装工作というのは、幸福をどうにかこうにかして手に入れようとしていることなのではないかと思います。要はステータスを得ようとしているのではないでしょうか?例えば、学力のいい大学入ることや大企業に就職することや美人の奥さんを手に入れることなどです。こうやって手に入った気がする幸福は本当の幸福ではなく、偽装された幸福なんだなと感じます。偽装された幸福をいくら手に入れても満足することはないのではないかと思います。「お金持ちになりたい」とか「東大に入りたい」とかいう夢をもつこともこの幸福の偽装工作に乗っかっているものなのではないかと読んでいると思ってきます。

「夢」というものは、幸福へと至るための「手掛かり」として、意味があるのであって、その実現そのものには意味がないのです。(pp145)

幸福とは感じるもの。自分の中にあるもので自分の外にその幸福を無理やり作って手に入れたと錯覚したとしても満たされることはなく、結局感じるしかないんだなあと思います。満たされないお金持ちもいくらお金をもっても感じることができないんだろうなと思いました。自分の感覚を受け入れられる経験がいかに大事なのか考えされられます。

 

「生きる技法」