教育で明日をもっとBON!!ブログ

bonとはフランス語で「良い」という意味があります。元教師、現塾講師が教育で明日をもっとBON(良い)な日にするエッセンスを届けます!

子どもの頃の敵

僕の子どもの頃の敵は

 

家のリビングに置いてあった大きなソファだった。

 

合皮製の少し硬めのソファ

 

沢山パンチをしたり、のしかかってみたり、蹴ったりした

 

ソファはビクともしなかった。

 

語りかけてもなにも返してくれない。

 

無口なやつ、これで体が頑丈なんだから

 

本当に嫌になってしまう。

 

よく語りかけたことがある

 

僕はなんで生まれてきたんだろう?

 

僕の存在している意味ってなんなんだろうか?

 

ソファは全く答えてくれない。

 

いつも黙っている

 

僕はますますわからなくなった。

 

友達と遊んでいる時は楽しいしけど、僕は嫌なこともされていた。

逆に人に嫌なこともしてしまったこともある。

 

自分の思い通りにいかないと嫌な気持ちになり、人を困らせたりもした。

 

こんな僕は人になにを与えられているのだろうか?

 

小学生ながらに考えて、ソファに聞いていた。

 

けどソファは答えてくれなかった。

 

ソファはどうやら僕のことなんてなんとも思っていないらしい。

 

じゃあ人に聞けばいいじゃないか?

 

そう思ったりもしたけど、なんだか聞けなかった。

 

それがなぜなのかはきっと怖かったんだと思う。

 

答えを知ってしまうことも逆にだれもわからないことを知るのも。

 

僕は、だんだん身体が大きくなっていった。

 

そして

 

自分がなんのために生まれてきたんだろうってことも考えなくなってきた。

 

次第にソファと会話というか話しかけることもなくなった。

 

僕自身が部活や友達との時間や学生生活もそれなりに忙しくなってきたこともあるけど

 

1人で考える時間も減ってしまっていた。

 

小学生の頃考えていた世界や周りの人たちの見え方は

 

中学生や高校生になって知識が増えていくことで

 

ああこういうことだったのかとなんとなくだが、ぼんやりと見えるようになってきた。

 

なにも教えてくれないソファと戦うことも話しかけることもなくなった。

 

オリジナルソングをソファに聞かせてやるっていう嫌がらせもしなくなった。

 

あんなに大きいと思っていたソファが急に小さく感じるようになってしまった。

 

高校生ぐらいになるとあんなに頑丈だったソファもぐったりしていた。

 

子どもの頃の大きな敵はいつしか僕の中から消えていた。

 

けどあの大きなソファとのした会話や戦いは今でも忘れない

 

あのとき、1人で遊んでいた僕を包み込んでくれていたのもソファだった

 

今はそのソファは、もういない

 

僕はなんのために生まれてきたんだろう?

 

僕の存在している意味ってなんなのだろうか?

 

 

その問いの答えは、だれかに教えてもらうものじゃない

 

きっとソファはそういうことを僕に教えてくれたんじゃないかと今では思う

 

 

1人でいるときって

 

ほんと色んなことが頭の中に巡ってくると思う

 

今だったらスマホとかで画面越しにだれかとつながることはできる

 

そこで自分の中の問いをごまかすこともできてしまう

 

なにも考えなくてよくなってしまう

 

時には、自分の中の答えのない問いと向き合ってみるのも楽しいよ

 

僕は子どもの頃、大きな決して倒れることのない敵がいてくれて本当によかった。

 

時には枕に話しかけたこともあったかな?

 

あなたの中のあなたをじっと聞いてくれるものって何かな?

 

意外と近くにあったりするよ

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