空虚さを嫌い、忙しさを好む
ヒマな時間ができると
なにかしないとと感じ
意味もなくSNSを眺めたり、ゲームをしたり、テレビや動画を見たりする。
一見、自分で選択して行っている行動のように思うけど、そこは空虚な時間に耐えられなくなって
あえて忙しそうにし、動かされているのだがそこに本人は気づかない
これは能動的な行動のように見えて、受動的な行動なのだ。
自分から動いているわけではなく
空虚さ、ヒマな時間に動かさられてしまっている。
一種の誘導とも言える。
なにかをしていないと気持ちが悪い
ぼーっとしているのがなんだかいけないような雰囲気が今はある。
キャンプがなんで今こんなにも流行っているのか?
僕の考えでは、空虚な時間が自然の中では認められているからではないかと思う。
焚き火を囲み、空虚さを楽しむ
ここでは自己との対話がゆっくりできる
誰かと話すわけでもなく、SNSに縛られるわけでもなく
空虚な時間を過ごす
今は、この空虚な時間に価値があるのだろう。
その空虚さが認められる空間をみんなが欲しているのかもしれない。
僕もそうだが、なんかしていいないとむずがゆい
この空虚さを受け入れ、自分の内面と静かに向き合う
そんな場所を欲しているのかもしれない。