【読書記録】老いる勇気③ 〜「生きている」だけで人の役に立てる〜
前回のおさらい
進化すること=現状を変えるために一歩前に踏み出すこと
誰かと比べることなく、また理想の自分とも比べることなく、自分が今までできなかったことができるようにしていくために、継続をしたり、工夫をしたり、新しいことにチャレンジしていくことで進化していく。
本日の読書記録と学び
本日は、本書の第3章「生きている」だけで人の役に立てる
を読んで感じたことについて書いていきます。
朝、目覚めたときに今日も生きていてよかった・・・
とあなたは感じていますか?
僕は全然感じることってなかったですし、今日の朝もなかったです。
朝だなぁ。昨日寝落ちしちゃったなぁぐらいの感覚しかありません。
ですが、本書を読んで何度もこの言葉は目にしているはずなのですが、忘れてしまっていることがありました。それは・・・
明日がくるって保証はどこにあるのか?
ということです。僕らは生きていることが当たり前になりすぎてしまって、また明日が今日のように訪れるとどこかで信じているのかもしれません。ですが、そんな保証はどこにもなく。もしかしたら・・・なんて出来事は簡単に想像することができます。1日1日を大事に生きること。真剣に生きること。今を生きること。を改めて考えさせられました。
自分の価値や生きる意味はなにか?
このように考えたときに、著者の岸見さんは、人は自分の価値や生きる意味を「生産性」で考えてしまいがちになると書いています。確かにこれは、そうかなと僕も当てはまることが多くて自分にはなにを生み出しているのかということを考えてしまいがちになっていることが多いです。だからなにもできていないときは価値がないんじゃないかと思ってしまうわけです。でも僕らが生きていることで誰かの役に立っていることもまた真実です。例えば、食事です。1人で食事を作って食べるより誰かと一緒に食事をしているときのほうが楽しいです。
自分のためだけに料理をするんじゃなくて、友達に食べてもらうためや好きな子に食べてもらうために作る料理のほうが楽しいです。誰かと一緒に料理をしているときもそうです。料理を手伝ってもらわなくてもその料理を食べてもらって美味しいと言ってもらえると料理をした人はうれしくなります。つまり、なにも手伝わずに食べるだけの人にも価値があるということなんです。そこに食べてくれる人がいるだけで作ってくれた人に貢献ができています。そして作った人も食べる人に貢献しています。貢献の連鎖がここで生まれているんですね。そしてこの「貢献感」こそ幸福を感じるために必要なもので、生きる力につながっています。
だれもがみな、自分にできる形で貢献していけばよくて、その方法は人それぞれに存在しています。「生きている」ただそれだけでだれかの役に立っています。そこを忘れずに今後も生きていきたいなと感じました。