【再読記録】嫌われる勇気② ~感情は道具である~
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【再読記録】嫌われる勇気① ~原因論と目的論~
カフェやレストランにいくとたまに店員さんに大声を上げて怒っているお客さんを目にする。だいたいおじさんが多い。よく聞いてみると店員さんのミスに怒っているようだ。注文を間違えたり、自分の頼んだものが来なかったり、コーヒーをこぼされたりして怒ったのだろう。
どうしてこのおじさんは怒ってしまうのか?を考えてみると前回の原因論と目的論の話に戻っていく必要がある。
原因論的にまとめると
店員さんがミスをした(原因)ので、大声で怒った(結果)の関係性ができる。
だが店員さんがミスをしても怒らない人もいる。ではこの因果関係というものは成り立たないのではないか。
結果論的にまとめると
このおじさんは「大声を出して怒ることで無抵抗の店員さんを屈服させて自分の要望を答えさせること」が目的で、怒りはその目的を達成するための手段として用いられたということがわかる。
ここでなんで怒りという感情を使用したのかというと怒りという感情は手っ取り早く相手を屈服させる手段だということを経験から学んでいるからだ。
この場合店員さんには事情をちゃんと説明していけば怒らずに話を進めることはできたはずなのにそれをわずらわしく思ったこのおじさんは怒りをいう感情を使うことで手短に終わらせたかったんだと思う。
つまり怒りという感情はいつでも取り出し可能な目的達成の道具だともいえる。
感情は目的によって使うことができる道具であるならば、人は感情を使う側の立場であって感情に振り回されるということはないともいえる。
だからこのおじさんはついカッとなって自分の意図とは関係なく怒りがでてきたのではなくて、自分が相手の非を認めさせて屈服させたいという目的のために使用したと考えられる。
まとめ
人は感情に振り回される生き物ではない。
逆に感情を意図的に(目的達成のための道具として)使用する立場にある。