【再読記録】嫌われる勇気① ~原因論と目的論~
原因論とは
過去の出来事が原因となって今の結果に結びついているという考え方
「あらゆる結果の前には原因がある」
現在のわたし(結果)は、過去の出来事(原因)によってつくり出されている。
例えば、両親から虐待を受けて育ったこと(原因)で、現在引きこもりになってしまったわたし(結果)がいる。
でもこう考えてしまうとすべての両親から虐待を受けて育った人は、全員引きこもりになっているはずだが、そうではない。
つまり過去の出来事が現在や未来を決定しているわけではないといえる。
過去にどんな出来事があっても現在や未来は変えることができる。
じゃあ現在のわたしに起きていることはどのように説明することができるだろうか?
先ほどの例でいくと引きこもりになってしまった人はどうして引きこもりになってしまったのか?
それには、引きこもりになった目的が関係している。
考えられる目的は「外にでたくない」ということ。
他には「親に注目してもらいたい」や「外にでることで傷つくことを避ける」などの目的も考えられる。
それらの目的を達成するために、不安や恐怖といった感情や頭痛や吐き気などの身体的な症状が作り出されていく。
だからといってこの感情や症状がウソなのかというとそうではなく、これは紛れもない本物として現れる。
つまり感情や症状は目的を達成するための手段であるということができる。
目的を達成するために、過去の出来事に意味を与える。
これが目的論の考え方である。
過去の出来事(原因)によって現在や未来(結果)は決められてしまう。
目的論
過去の出来事は現在の目的によって、その意味付けは選択できる。
つまり過去の出来事の捉え方はいつでもいくらでも自分の与える意味付けによって変えることができるといえる。
例えば、大きな災害を経験したとか幼いころに虐待を受けたという出来事が人格形成になにも影響しないということはないが、その出来事が現在の結果や未来を決定するわけではない。
大災害を経験したから、仕事ができないとか。幼いころに虐待を受けたから引きこもっていますというのは、すべての人に当てはまることではない。
つまりその裏にはなにかしらの目的があるのだ。
これはかなりの希望だと僕は思う。
だって過去の出来事は自分のつける意味合いによって変えることができるのだから。
そしてその意味合いは自分で選択ができる。
これってどこかで聞いた話だなと思ったら、キングコングの西野亮廣さんが近畿大学でしたスピーチを思いだした。
キンコン西野 伝説のスピーチ「人生に失敗など存在しない」平成30年度近畿大学卒業式
「僕たちは過去を変えることはできる」
「僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできないけれど、過去を変えることはできる」
これって過去の出来事に対する意味合いを変えることができるということだと思うんです。
過去は変えられる。
そしてその過去の出来事に今の自分の「目的」が意味を与えている。
「私たちはみな、なにかしらの「目的」に沿って生きている」