教育で明日をもっとBON!!ブログ

bonとはフランス語で「良い」という意味があります。元教師、現塾講師が教育で明日をもっとBON(良い)な日にするエッセンスを届けます!

【再読記録】嫌われる勇気⑤ ~ライフスタイルを変える~

ライフスタイルとは

その人が「世界」をどう見ているか、また、「自分」のことをどう見ているか。これらの「意味づけのあり方」を集約させた概念=人生のあり方=性格や気質

 

ライフスタイルは先天的なものではなく、後天的に選びとっているもの。

過去にどんな出来事があってもそれは関係なく、自分のライフスタイルを変えようと思ったら選びなおすことが可能。

 

自分の性格つまりライフスタイルに不満があり、今の現状に満足していないのであれば、ライフスタイルを変える必要がある。

だが、多くの人は自分のライフスタイルを変えようとはしない。

これはなぜなのかというと、確かに不便で不自由なところはあるが、今のライフスタイルのほうが使いやすくて、そのまま変えずにいるほうが楽だからだ。

つまり慣れているからなのだ。長い間使い古してきたものなので使い勝手もわかっているし、ある程度自分の性格ならこの後こうなるだろうなというのが予想がつく。

だからこそ多少なりとも今のままでいることには不満があっても今のライフスタイルはなかなかやめられない。

だってもしライフスタイルを変えたら、新しい自分に何が起きるのかもわからないし、目の前の出来事にどう対処していけばいいのかもわからない。未来の見通しが立たずに不安が生まれる。そんなときに頭をよぎるのは、

もしかしたら新しい自分になると今よりもっと苦しくなり、もっと不幸な人生が待っているのかもしれない

ということだ。なかなか新しい自分になるという決断ができないのだ。

つまり、新しい自分になる勇気がもつことができないのだ。

周りでキラキラしている人を見ると、「もしもあの人みたいになれたら」と可能性の中で生きている限り変わることはできない。変わるためには今のライフスタイルを捨てて、前に進んでいくしかないのだ。

他の誰かになることはできないが、自分のライフスタイルを変えることはできる。選び直すことはいつでもできる。

たとえ過去にどんなことがあろうとライフスタイルを決めるのは「いま、ここ」を生きている私自身なのだから。

ただ、変わるためには勇気が必要なのだ。勇気をもつためには自信が必要なのだ。

自分は大丈夫。あなたは大丈夫。自信をつけ、前へ踏み出す一歩を進んでいく。

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

過去の再読記録

 

① 原因論と目的論

 

bonsakubonbon.hatenablog.com

 

② 感情は道具である

 

bonsakubonbon.hatenablog.com

 

③ 自分に与えられているものはなにか

 

bonsakubonbon.hatenablog.com

 

④ 人はみな自分のためになること(善の行動)をする

 

bonsakubonbon.hatenablog.com

 

 【再読記録】嫌われる勇気④ 〜人はみな自分のためになること(善の行動)をする〜

人はみな自分のためになることをする。

ここでは、自分のためになることを「善」。自分のためにならないことを「悪」とする。この善と悪は世間一般的な善と悪ではなく、あくまで自分のためになるのかならないのかということだというところをおさえておいてほしい。

 

つまりどういうことかというと

世間一般的な善の行為とは、道端に落ちているゴミを拾ったり、慈善事業をしたり、困っている人がいたら手を差し伸べたりすることだ。また世間一般的な悪の行為とは、犯罪を犯したり、ウソをついたり、人をだましたりすることだ。

だがその世間一般的な善の行為も悪の行為もその人にとって自分のためになる行動かどうかというのはその人にしかわからない。

その人にとってたとえどんな行為でもその人のためになる行為であれば、それはすべて「善」となる。

 

たとえ犯罪に手を染めてしまうようなことになっても、そこにはその人なりの理由があり、それが自分のためになるような行為であればそれはあくまでその人にとって「善」の行為となる。

 

 ここで考えたいのは

純粋な意味での悪(自分のためにならないこと)を欲する

ということである。

自分のためにならないことを誰もやろうとはしないはずである。だから行為としての悪(犯罪)などをしてしまう人もその行為には「しかるべき善(自分のためになる)の理由」があるはずなのである。

 

ということはもし今自分は不幸だと感じている人がいれば、その人は「不幸であること」が自分にとっての「善(自分のためになる)」だと判断していることになる。

ウソだ!!と思う人にも必ず「不幸であること」を選んでいるのには何かしらの理由がある。いやいや自分が不幸なのは自分の性格やが悪いんだ!!性格はもって生まれたものだからしょうがないという人もいると思う。だが性格というのも後天的なものである。

この性格や気質というものを「ライフスタイル」という。

「ライフスタイル」とは、その人が「世界」をどう見ているか。また「自分」のことをどう見ているか。これらの「意味付けの在り方」を集約させた概念=人生の在り方である。この「ライフスタイル」は先天的に決まっていて、変えることができないものではない。自ら「ライフスタイル」は選んでいるのだ。

つまり、「ライフスタイル」はいつでも変更可能なのである。よって性格も変えることができる。だがみんなが変わりたいけど変われないと思っている。

これは、

自分に対して「変わらない」ということを決心しているからだ。

自分の「ライフスタイル」を変えないことがその人にとっての「善(自分のためになる)」となる行為と思っているから変わらないのだ。

本当に変わりたいと思っているのならこの「ライフスタイル」を変えたほうがいい。そこには変えることを決断し、行動していくための勇気が必要になってくる。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

以前までの再読記録はこちら

【再読記録】嫌われる勇気① ~原因論と目的論~

bonsakubonbon.hatenablog.com

 【再読記録】嫌われる勇気② ~感情は道具である~

 

bonsakubonbon.hatenablog.com

 【再読記録】嫌われる勇気③ ~自分に与えられているものはなにか~

 

bonsakubonbon.hatenablog.com

 

【再読記録】嫌われる勇気② ~感情は道具である~

前回の再読記録はこちら

【再読記録】嫌われる勇気① ~原因論と目的論~

bonsakubonbon.hatenablog.com

 

カフェやレストランにいくとたまに店員さんに大声を上げて怒っているお客さんを目にする。だいたいおじさんが多い。よく聞いてみると店員さんのミスに怒っているようだ。注文を間違えたり、自分の頼んだものが来なかったり、コーヒーをこぼされたりして怒ったのだろう。

どうしてこのおじさんは怒ってしまうのか?を考えてみると前回の原因論と目的論の話に戻っていく必要がある。

 

原因論的にまとめると

店員さんがミスをした(原因)ので、大声で怒った(結果)の関係性ができる。

だが店員さんがミスをしても怒らない人もいる。ではこの因果関係というものは成り立たないのではないか。

 

結果論的にまとめると

このおじさんは「大声を出して怒ることで無抵抗の店員さんを屈服させて自分の要望を答えさせること」が目的で、怒りはその目的を達成するための手段として用いられたということがわかる。

ここでなんで怒りという感情を使用したのかというと怒りという感情は手っ取り早く相手を屈服させる手段だということを経験から学んでいるからだ。

この場合店員さんには事情をちゃんと説明していけば怒らずに話を進めることはできたはずなのにそれをわずらわしく思ったこのおじさんは怒りをいう感情を使うことで手短に終わらせたかったんだと思う。

 

つまり怒りという感情はいつでも取り出し可能な目的達成の道具だともいえる。

感情は目的によって使うことができる道具であるならば、人は感情を使う側の立場であって感情に振り回されるということはないともいえる。

だからこのおじさんはついカッとなって自分の意図とは関係なく怒りがでてきたのではなくて、自分が相手の非を認めさせて屈服させたいという目的のために使用したと考えられる。

 

まとめ

人は感情に振り回される生き物ではない。

逆に感情を意図的に(目的達成のための道具として)使用する立場にある。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

【再読記録】嫌われる勇気① ~原因論と目的論~

原因論とは

過去の出来事が原因となって今の結果に結びついているという考え方

「あらゆる結果の前には原因がある」

現在のわたし(結果)は、過去の出来事(原因)によってつくり出されている。

 

例えば、両親から虐待を受けて育ったこと(原因)で、現在引きこもりになってしまったわたし(結果)がいる。

でもこう考えてしまうとすべての両親から虐待を受けて育った人は、全員引きこもりになっているはずだが、そうではない。

つまり過去の出来事が現在や未来を決定しているわけではないといえる。

 

過去にどんな出来事があっても現在や未来は変えることができる。

 

じゃあ現在のわたしに起きていることはどのように説明することができるだろうか?

先ほどの例でいくと引きこもりになってしまった人はどうして引きこもりになってしまったのか?

それには、引きこもりになった目的が関係している。

考えられる目的は「外にでたくない」ということ。

他には「親に注目してもらいたい」や「外にでることで傷つくことを避ける」などの目的も考えられる。

それらの目的を達成するために、不安や恐怖といった感情や頭痛や吐き気などの身体的な症状が作り出されていく。

だからといってこの感情や症状がウソなのかというとそうではなく、これは紛れもない本物として現れる。

つまり感情や症状は目的を達成するための手段であるということができる。

 

目的を達成するために、過去の出来事に意味を与える。

 

これが目的論の考え方である。

 

原因論

過去の出来事(原因)によって現在や未来(結果)は決められてしまう。

 

目的論

過去の出来事は現在の目的によって、その意味付けは選択できる。

 

つまり過去の出来事の捉え方はいつでもいくらでも自分の与える意味付けによって変えることができるといえる。

例えば、大きな災害を経験したとか幼いころに虐待を受けたという出来事が人格形成になにも影響しないということはないが、その出来事が現在の結果や未来を決定するわけではない。

大災害を経験したから、仕事ができないとか。幼いころに虐待を受けたから引きこもっていますというのは、すべての人に当てはまることではない。

つまりその裏にはなにかしらの目的があるのだ。

 

これはかなりの希望だと僕は思う。

だって過去の出来事は自分のつける意味合いによって変えることができるのだから。

そしてその意味合いは自分で選択ができる。

これってどこかで聞いた話だなと思ったら、キングコング西野亮廣さんが近畿大学でしたスピーチを思いだした。

f:id:bonsakubonbon:20200111134922j:plain


キンコン西野 伝説のスピーチ「人生に失敗など存在しない」平成30年度近畿大学卒業式

 

「僕たちは過去を変えることはできる」

「僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできないけれど、過去を変えることはできる」

 

これって過去の出来事に対する意味合いを変えることができるということだと思うんです。

過去は変えられる。

そしてその過去の出来事に今の自分の「目的」が意味を与えている。

 

「私たちはみな、なにかしらの「目的」に沿って生きている」

【中高生向け】あなたには無限の可能性がある

あなたには無限の可能性がある

 

あなたはどんなこともできる力がある

 

大人はその可能性に気づいていない場合がある

 

君の抱く夢や目標は無理なんかじゃない

 

テストで100点だってとることはできるし、俳優や歌手を目指すこともできる

 

君が本気でやりたいと思ったら、なんでもやれるんだ。

 

その途中では、大変なこともある

 

だけど、それを乗り越えれば、一回りも二回りも成長した君が待っているんだ。

 

大変という字は、大きく変わると書くんだ。

 

大変だなと感じることに出会ったとき、それは成長のチャンス!!

 

そのチャンスをつかみにいくのかもすべて君次第なんだ。

 

大変だなと思ったときに

 

無理だ!!自分にはできない!!

 

と思って自分の可能性にふたをしてしまい、成長のチャンスを逃すのか

 

よっしゃ!!これは成長のチャンスだ!!

 

ワクワクするぞ!!

頑張ってやるぞ!!!

 

と思って、自分の成長にワクワクして、成長のチャンスをつかみにいくのか

 

君はどっちを選びたい?

 

実際それはどっちでもいいんだ。

 

それは君の人生だから。

 

君の人生を決めるのは君なんだから。

 

絶対できると自分のことを信じて、貫き通して、本気で努力していけば

 

君はできるようになるよ。

 

ほんとだよ。

 

まだ信用できないかい?

 

思い込みの力ってすごいんだ。

 

できないって思っている君は勝手に自分の力をセーブしちゃっているんだ。

 

ノミっているでしょ。

ノミって自分の身長の150倍も飛ぶことができるんだ。

 

ノミは体長2mmぐらいだから30cmも飛ぶことができるんだよ。

 

もし、人間の大きさ(160cm)ぐらいのノミがいたら・・・

 

24000cm=240m

も飛んでしまうんだ。

 

約60階建てのビルの大きさほどだね。

 

すごいよね。

 

でもそのノミを高さ、6cmほどのコップに閉じ込めると

 

もちろん。コップのそこにジャンプをしても当たってしまうんだ。

 

カツーン!!

 

カツーン!!

 

カツーン!!

 

と何度もぶつかっても6cmの壁が越えられないことを知るんだね。

 

そしてコップから外に出してあげると

 

ノミは

 

6cmまでしか飛べなくなってしまっていたんだ。

 

どこかで自分はここまでしか飛べないって思ってしまったんだね。

 

本当は30cmも飛べるのに、6cmまでしか飛べないって思いこんでしまっている。

 

できないことはないんだよ。

 

その思い込みを捨ててみようよ。

君にはやりきる力があるから。

 

君の可能性に自分でふたをしないであげて

 

君にはできる力があるよ!!

 

僕は信じているよ。君には無限の可能性があることを。